A.ゲノムの異常が発生したら、必ずがんになるとは限りません。通常、いくつかの異常が累積して、正常細胞から、次第に悪性度が高い状態(がん細胞)になることがわかっています。
解説
ゲノムとはその生物がもつ「遺伝情報全体」のこと
ゲノムとは大きく2つの意味があります。1つは古典的な遺伝学における意味で、生殖細胞に含まれる全染色体(もしくはその遺伝情報)とされています。もう1つは「全染色体を構成するDNAの全塩基配列」のことを指すようになりました。いずれにせよ、全部の遺伝情報(塩基配列情報)を指します。
ゲノムの正常と異常
まず、ゲノムの「正常」とはなんでしょうか。ヒトにおいて、一卵性双生児以外はゲノム情報が全く同じヒトはいないとされています。ヒトゲノムで正常とされているのは、ヒト集団の中で多数派の塩基配列を「正常」としているにすぎません。少数派に属する変化でも、病気をもたらさないような変化は多数あります。また以前は遺伝子の変化、つまり大多数のものと異なるものを「変異」としていました。ところが、正常を明確に定義できないため、最近では「変異」ではなく「バリアント」とよぶことになりました。
Q6に対しては、「そもそもゲノムにはさまざまな変化が起きている。また異常とは“ゲノムにいろんな変化が起きている状態”と解釈するなら、その程度が多いほど、病気と関係するので、がんのリスクが高くなる可能性があります」と答えるのがより丁寧です。
つまり、すべてのゲノムが「正常」な生物(ヒトも含めて)はいないと考えたほうがよいのです。また最近「がんゲノム医療」という言葉が使われてきましたが、マルチパネル遺伝子検査の場合でも、すべての遺伝情報を検査対象としているわけではないので、「がん関連遺伝情報医療」とでも呼んだほうがよいかもしれません。
用語解説
●バリアント(variant):遺伝子の変化を表すのに使われている用語で、多様体ともいいます。
動画での解説
A.がん細胞におけるゲノムの異常の数は、がんの種類ごとに異なり、個人差も大きいです。
解説
がんの種類によってゲノム異常の数は異なる
2013年にNatureという雑誌に報告された有名な論文によりますと、がんの種類によって、異常の数が異なり、また解析方法によってさらに異なることがわかっています。皮膚がんであるメラノーマ(悪性黒色腫)は、全ゲノムで平均約30,000変異あるのに対し、乳がんでは平均約3,000変異と少なくなっています。また同じがんの中でも、個人によってかなりばらつきがあることもわかっています。
ゲノム異常の数よりもどの遺伝子に異常があるかが重要
むしろがんにおいては、ゲノムの異常の数よりも、どんな遺伝子に異常があるかが重要かもしれません。がん化に重要な遺伝子として、がん遺伝子と、がん抑制遺伝子があります(Q9参照)。がん遺伝子の数が多いほど、正常の細胞から逸脱して増殖する細胞、すなわちがん細胞になるといえます。最近このようながん化に重要な遺伝子をターゲットにした薬を探すため、がん細胞におけるマルチパネルがん遺伝子検査が行われるようになってきています。ただし、がん化に関係ない遺伝子(パッセンジャー遺伝子、Q10参照)の異常でも、がん細胞に対する免疫反応の標的にはなりえますので、ゲノム異常の数で免疫治療の効果予測がある程度できるのではないかともいわれています。
これからのがん遺伝子検査と治療
さらに特定の遺伝子の異常をみる検査から、遺伝子情報(ゲノム)全体を調べる検査が可能となってきており、その検査価格は低下してきています。将来、がん細胞の異常をくまなく調べそれに適合した薬を使用することができるようになるかもしれません。
(中島 健)
A.がん細胞自体は遺伝しませんが、がんになりやすい形質(体質)は遺伝する場合があります。
解説
がんは正常な細胞が変異してできる病気で感染しない
がんは正常な細胞が、正常の制御から無秩序に増殖し、ついには宿主であるヒトの重要な臓器をむしばみ、死に至らせる病気です。その原因としては環境因子、遺伝因子などがありますが、それらが複合的に合わさってもたらされる病気です。
ウイルスや細菌によって引き起こされる感染症と異なり、「がん細胞」が人から人にうつることはありませんし、親から子へ遺伝することはありません。しかし、遺伝性腫瘍症候群のように「がんになりやすい体質」は遺伝する場合があります。
がんになりやすい体質は遺伝する
例えば、遺伝性大腸がんの1つであるリンチ症候群(Q29参照)は、通常、がん抑制遺伝子の1つである「ミスマッチ修復遺伝子」のどれかにおいて、生まれつき一対ある遺伝子のうち1つが機能低下をしていることが原因の常染色体優性遺伝の病気です。この場合、その体質は、親から子へ50%の確率で引き継がれます。
結果として、引き継がれた方は、そうでない一般の方と比較して、大腸がんや子宮体がんなど複数の臓器での発がんリスクが増大します。つまり「がんになりやすい体質」が遺伝するといえます。
このように、がんは「環境的素因」および「遺伝的素因」の相乗効果により引き起こされる結果ですので、たとえ「遺伝的素因」を引きついだ場合でも100%必ずがんになるわけではないことを知っておく必要があります。
一卵性双生児の場合には2人はまったく同じゲノム情報をもっていることになります。ただし、2人の人生において、かかる病気はがんにおいても、まったく同じ時期に発症するわけではありません。それは食生活や喫煙の有無、飲酒の有無、運動習慣など生活習慣や、居住地域など「環境的素因」が両者によって異なるからです。
(中島 健)
A.正常細胞をがん化させる働きをもつ遺伝子を「がん遺伝子」、反対にがんの発生を抑制する遺伝子を「がん抑制遺伝子」と呼びます。
解説
がん遺伝子とはどんな働きをするのか
私たちは、食事や周りの環境など、いろいろなものの影響を受けながら日常生活を送っていますが、たばこなどの有害な刺激により正常な遺伝子に傷がついてしまうことがあります。
細胞の増殖や分裂は遺伝子により管理され、正常状態では必要に応じて増殖を進める複数の遺伝子が存在します。
これらの遺伝子に傷がつき制御不能になり、自動車でいうところのアクセルを踏みっぱなしの状態になってしまうことがあります。その結果、細胞は無制限に増殖し続け、がんの発症につながります。
このように、正常細胞をがん化させる遺伝子を、「がん遺伝子」と呼びます。
がん抑制遺伝子の働き
反対にがんの発生を抑制し、ブレーキの役割をもつ遺伝子を「がん抑制遺伝子」と呼びます。
具体的には、細胞増殖を抑えたり、遺伝子の傷を修復したり、異常な細胞に細胞死を誘導したりすることで、がんの発症を抑える働きをしています。ところが、「がん抑制遺伝子」に傷がつき、ブレーキの役割を果たせなくなることでがん化してしまうことがあります。
がん化の仕組み
現在では、アクセルである「がん遺伝子」とブレーキである「がん抑制遺伝子」に、長年にわたって、たくさんの傷がつくことでがんが発生すると考えられています。
また一方では、生まれつき「がん遺伝子」や「がん抑制遺伝子」に傷がついており、早期にがんを発症してしまう人もいます。今後、傷ついた「がん遺伝子」や「がん抑制遺伝子」を標的にする治療法を開発することで、がんが治る可能性も出てきます。
(角南義孝・中村卓郎)
動画での解説
A.がんの発生に、直接的に働く遺伝子が「ドライバー遺伝子」です。
解説
ドライバー遺伝子とパッセンジャー遺伝子
がん遺伝子とがん抑制遺伝子に、長年にわたって傷がつくことでがんが発生することが知られています。
遺伝子の傷のことを「変異」といいますが、変異のある遺伝子のなかで、がんの発生に中心的で直接的な役割を果たすものを「ドライバー遺伝子」と呼んでいます。
がんの発生に対して直接的に働く、運転手の役割を果たす遺伝子という意味です。
ドライバー遺伝子にはEGFR、RASなどがあります。
また、がんの発生過程では正常より遺伝子に変異が起こりやすい状態になっており、がんの発生とは関係のない遺伝子にも一定の割合で変異が起こります。
このようながんの発生と関係の乏しい変異をもつ遺伝子を「パッセンジャー遺伝子」と呼びます。その名のとおりがんの発生に間接的にしかかかわらない乗客のような遺伝子という意味です。
がんの原因を探るには、「ドライバー遺伝子」と「パッセンジャー遺伝子」をしっかり区別することが非常に重要です。
ドライバー遺伝子を抑える治療法
これまで、がん発生の原因である「ドライバー遺伝子」の働きを抑えたり、異常を修復したりすれば、がんを治せるのではないかと研究されてきました。そして、「ドライバー遺伝子」の働きだけを抑える「分子標的薬(Q14参照)」の開発が進み、肺がん、大腸がん、乳がん、白血病をはじめとするさまざまながんで非常に有用であることがわかりました。現在では、数多くの分子標的薬が日本国内の病院で、日常診療で使用されています。
また最近、同じ種類のがんでも「ドライバー遺伝子」が一人ひとりの患者さんごとに少しずつ違っていることがわかってきています。患者さんごとの「ドライバー遺伝子」を調べることで、その人に合った治療法(個別化治療)を選択できる可能性があり、日本国内でもそのような試みがされています。
(角南 義孝・中村 卓郎)
動画での解説
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